はじめに

おーちゃん

はじめまして、ブログを見に来ていただきありがとうございます。
当ブログを運営している、おーちゃんです。

ドットくん

僕は、ドットくん。おーちゃんの友達だよ。
よろしくね。

当ブログ「OKメンタルブログ」と、「私のこと」について書かせてください。

もし、興味を持っていただけたら、少しでも読んでくれたら嬉しいです。

プロフィール

おーちゃんってこんな人
  • 天然パーマの40代
  • パソコンが苦手
  • リコレクト認定ジュニアメンタルアドバイザー
  • カラーセラピスト
  • NLP学んだ人

以前は商社で配送と営業をしてましたが、父が脳梗塞で倒れ、私も体調を崩し退職。

▶︎辞めた理由の詳細が気になる方はこちら

生まれも育ちも、現在も愛知県に住んでます。

父、母、兄、私の4人家族です。私が小学4年生のとき、両親が離婚しました。現在はそれなりに仲良くやってます。笑

悲しいことなんですが、自殺で従兄弟2人を亡くしてます。自分より若い2人だったので、大きなショックを受けました。

この経験も、心に興味を持った要因の1つです。

当ブログについて

メンタル系ブログをはじめたきっかけ

ブログに興味をもったきっかけは、旅ブロガーでライフコーチの友人です。彼が帰国した時に、ブログを作って発信する楽しさ、自分の経験や知識が誰かの役に立つということを教えてくれました

変わりたい自分と取り柄がないと思い込んでいた自分を変えるため、ブログを始めた。興味のあったメンタルのことを勉強して知識を蓄えて発信することにしました。

雑記ブログからスタート。その後カラーセラピーNLPという「脳と心の取扱説明書」と呼ばれる心理学を学んだ。そして、なかなか行動できない自分を変えるため1人旅に出てみました。

そして、サッカーのコーチを経験。他のコーチは、私より技術も経験もある人達。そこで私はメンタルの知識を活かしたアプローチをすることを決意。

選手達が上手になることも大切ですが、好きで始めたことを嫌いにならないでほしいという思いが、私には強くありました。怒られ泣いてる、試合で負けて悔しい思いをする選手にどう声を掛け、成長を促すか?サブメンバーのケアはどうするべきか?そう思って、ジュニアメンタルアドバイザーの講座に申し込み、先生とマンツーマンで基礎と応用を学びました。

誰かの役に立つ経験と知識を得て、メンタルブログとして運営することを決意しました!

メンタルについて

ジュニアスポーツメンタル

育成年代(8歳〜18歳)にメンタルアドバイスをお届けしてます。また、その年代のお子様をお持ちの方に、親ができるメンタルサポートを提供。親子の会話のネタになったり、もっとスポーツが好きになってほしいと願ってます

NLP

どんな心理学なの?どう活用するの?自分の経験を元にあなたが活用できるように、分かりやすくお伝えします。あなたの習慣や思い込みを変えるスイッチになるはずです。

メンタル記事はこちら

カラーセラピーについて

セラピーで使用する14色の意味や効果、日常に活かす色の使い方も掲載。

キャラ分析

マンガ、アニメのキャラクターを色彩心理の観点から分析。

資格取得

通信教育や対面での受講、団体も複数あります。どこで取得するか?お悩みの方、資格取得の費用、期間をまとめてあるので参考にしてくだい。

カラーセラピー記事はこちら

旅について

37歳で初めて1人旅を経験したことで趣味になる。宿泊施設、神社、観光地の情報を記録してます。参考にどうぞ。

カフェ

和食と和菓子、卵が大好きです。旅先で出会った、印象的な飲食店のお店情報を掲載。

登山

20代の時に富士山5回登頂する。人生の目標として、40歳になり百名山制覇を友人に宣言。その姿を見せることで、「私もやるぞ!」と後押ししたい。記事の内容は、登山記。YouTubeに登山動画公開中。

旅記事はこちら

趣味について

マンガとアニメ

スラムダンク、シュート、ハイキュー、メジャーといったスポーツ系が大好き。それぞれのスポーツの魅力が感じられるツールとしても、マンガやアニメは素晴らしいです!BECK、

僕アカ、ナルト、ワンピースも大好き!

映画

アクション系を見ることが多いです。ジェット•リー主演のキスオブザドラゴン、ロミオマストダイの戦闘シーンは圧巻です!

スポーツ

サッカー、フットサル、ゴルフをやります。どれも未経験者より少し上手いくらい。守備的なポジションでパスカットが得意。ゴルフの最高スコアは82で、平均は95。仲間と楽しんでます。

音楽

知らないかもしれませんが、KEMURIというバンドが好きです。「肯定的精神姿勢」をバンドスタイルとし、P.M.Aという曲に何度も救われました。解散や、メンバーの事故死を乗り越えて今もフェスやツアーで活躍されてます!

私の半生について

ここからは、私のことをもう少し詳しく書かせてください。長くなりますが、少しでも読んでいただけたら嬉しいです。

産まれてすぐに余命宣告!?

4人家族の末っ子として産まれてました。

▲母から渡された1歳時の私
母ちゃん

あんた産まれてすぐ死にかけとったで。

母ちゃん

医者に10歳くらいまでしか生きれんかもって言われたわ。

おーちゃん

そーなの?

手術のおかげで、何とか息を吹き返したそうです。病名は覚えてないそうですが、今も生きてます。笑

この話は、社会人になってから聞かされました。

生き残ってるだけで奇跡ですが、母は私が産まれてから毎週病院に通う日々を15年間続けてくれました。行きたくないと泣いたりわがままを言っても強引に連れて行かれてました。

もし、通院をサボっていたら私はこの世にいない存在になっていたかも。母には感謝しかないです

心配する母の気持ちも知らず、私は元気に育っていきました。幼稚園では、負けず嫌いで、あいつがやるなら僕もやる。という感じでサッカー、木登り砂場遊び。とにかく何でもやりたがる子供でした。

心配だった身体も、何事もなく順調に育っていきました。プールで溺れてかなづちになりました。代わりに器械体操を習いましたが、自由にやらせてもらえず1年で辞めた。

【小学生】親の離婚と転校

心配する母を横目にすくすくと育ち小学生になり、友達も増えました。

しかし、ある日の夜中、突然中耳炎を発症して病院へ。後遺症で聴力は低いですが、日常生活に問題ありません。すぐに病院に連れて行ってくれたおかげです。

親には感謝しています。私の耳が聞こえてるのは、親の愛情なくしてはありえなかった。もしかしたら、どうでもいい他者の言葉や雑音を聞くためじゃなくて、心の声を聞くために親が残してくれたのかも知れません。

小学校4年生頃までは、野球と、絵を描くことにハマりました。

地元の交通安全ポスターに応募して、優秀賞をもらいました。ヘルメットを画用紙半分使って大きく描くという発想がインパクトを与えたみたいです。

父も母も喜んでくれた良き思い出です。絵心はないですけどね…

▲初めて表彰された時

友達と近所の大きな公園の裏山に巨大な穴を掘り、秘密基地を作りました。放課後に、自分の大切にした物を持ち込み、誰にも邪魔されず、自分が良いと思うものを語り合っていました。すごく楽しかった!

他人の敷地に穴をを掘るとかダメだけど、自分達の居場所を作るということを経験した貴重な時間になりました

居場所は与えられるものではなく、自ら手に入れるんだということを学んだ。

そして、この頃に2つの大きな経験をします。

①肺炎を発症

入院することになりました。先生や学校の友達が僕を支えてくれました。励ましの手紙が毎日のように送られてきたり、千羽鶴を作ってくれたりして応援してくれたおかげで、半年後に退院できました。

②親の離婚

退院後、兄の後を追うようにサッカーを始めた。友達と共に上手くなるぞ!とやる気に満ちていた時、親が離婚。母とともに暮らすことになりました。退院してから半年後の出来事。

親は、どちらについて行くかを自由に選べと言いました。小学生の僕と兄には、難しい選択でしたが、僕も兄も母について行くことに決めた。

理由は、長い時間を母と過ごしていたからだろう。母を守らなきゃという気持ちもあったんだと思います。

環境の変化、友達ができるか不安を抱えたまま転校初日。サッカー好きの2人の同級生が話しかけてきて、意気投合。放課後に学校に集合してサッカーしたのを覚えています。

サッカー部ではレギュラーになり、楽しい学校生活を送っていました。毎日サッカーボール蹴ってた。レギュラーになったが、パスを渡さないという地味な嫌がらせを受けたこともあったが、文句を言わずサッカーをやり続けたら自然とパスが来るようになりました。

共通点があると仲良くなりやすい。共通点を探すには、相手に興味を持つこと。それが、コミュニケーションの入り口。転校することで気づけたこと。

【中学生】不登校といじめ

現在の自分に影響を与えた時期です。

入学早々に学校を休んだり、早退をするようになった。なぜかというと、担任の先生が苦手だった。具体的な理由はないですが、学校自体が楽しくなかったんだと思います。

半年間こんな生活を送っていましたが、母は何も言いません。そんな生活が変化したのは、楽しみが見つかったからです。

それは、おばあちゃん先生の英語の授業とサッカー部です。

英語は、楽しいんだよということを教えてくれました。他科目は学年平均だが、英語だけ学年でトップクラスの成績でした。しかし、先生が代わって英語への興味がなくなってしまい、現在は英語が苦手です。

部活は、競争や楽しさを共有できる仲間と毎日サッカーしてました。

文化祭では、みんなのフォローを一生懸命やって、クラスの代表として賞状をもらう大役もしました。お前が一番頑張っていたと先生から指名された。

誰かの為に、一生懸命になれるのは私の特技かもと思える体験ができた。

いじめを受けることもありました。

私の容姿について、猿っぽいからと当時流行った映画、猿の惑星に出てくるキャラクターのあだ名を付けられたりとか。確か、7人くらいだったと思います。

最初は、負けるかと抵抗してました。しかし、相手にするのが疲れるしバカバカしくなってきて、いじめる心を考えるようになりました。自分の中で1つの答えを出した。

心が満たされず、貧しい心を持っているのだと。だったら、満たしてやればいい。今までとは真逆の精一杯の愛情を持って接するようにした。何か言ってきたら、「どうしたの?何か嫌なことあったの?」という感じで接するようにしたら、頻度が減り、自分もイライラしなくなりました。

サッカーという好きなことがやれていたことも救いでした。ここに仲間がいてくれることが嬉しかったし楽しかった。レギュラーとして試合にも出場し、充実した時間を過ごせました。

進路を決める時期が来た。この時も自分だけで進路を決めた。頑固者と言われますが、芯の通った男と言ってほしい

そして、卒業を迎える前日。真っ暗な体育館で担任の先生から1人1人に言葉が送られました。先生は、僕にこう言いました。

先生

君は人の心の痛みを理解してあげられる本当の優しさを持っているやつだ

別に褒められたくて、優しくしたり、励ましたりして訳じゃなかった。ただ、改めてこう言われるとグッとくるものがあった。

【高校生】平凡な日常

私の住む愛知県は、トヨタ自動車を筆頭にものづくりが盛んです。母のこともあり、早く働くことを目標にしてたの工業高校に進学。実習がメインで、物を作ったりするのは好きなんだけど不器用であることに気付いた。自分のセンスの無さ驚くこともありましたが、地道にコツコツ作業してました。

部活は、もちろんサッカー部。3年生がめちゃくちゃ怖かったですが、歯を食いしばって練習についてきました。正直、私は上手ではありません。でも、体力には自信があったので、先輩の指示や練習では1番早く行動すること心がけてました。途中出場ですが、3年生と共に戦えたことはいい思い出です。

レギュラーに定着したのは3年生が引退後。練習試合の日、ちょっと不真面目な先輩が試合時間になっても現れず、練習試合誰をスタメンにするか監督は迷ってました。誰よりも一生懸命に練習してた自負があり、実力もついいてきたと実感できるほど成長した自分を監督は指名してくれました。

このチャンスを逃すものかと夢中で頑張りました。この試合がきっかけで、引退するまでレギュラーとしてサッカーをすることができました。

チャンスがきたら全力でチャレンジする。絶対忘れてはいけないのは、自分を推薦してくれたり、信頼してくれた人達に感謝をすること。そのチャンスが、いつ訪れてもいいように心と身体の準備を怠らない。自分がコントロールできることをやるだけだ。

【社会人①】入社式で遅刻寸前

入社式当日。慣れないネクタイに苦戦し、電車に乗り遅れギリギリ入社式に間に合いました。が、印象は悪い。やってしまった。社長、役員、同期に最悪な印象を与えることになってしまった。

役員

役員の1人が近づいてきて、起きたことは仕方がない。この先の活躍を期待してるよ。

やってしまったことよりこの後どうするかが大事。社会人になって最初に学んだことだった

職場は、粉塵や油が舞っていて、いい環境とは言えない。会社には上司に何度も訴えてましたが、換気扇が数付けられただけ。しかし、物作りは好きだったし、黙々と作業できることは良かった。機械が古く、効率が悪い中で工夫することは日常的にやっていたので、問題発見、解決する事を身体で憶えていった。

でも、人がダメだった。なぜか?何人かいた先輩の中で、2人の先輩の中が最悪だった。話しやすかったのか、僕にそれぞれの悪口を言うようになった。それがボディーブローのように効いてきた。夜勤もしんどいので、5年目に会社辞めました。

土日の貴重なお休みは、体力回復のために寝て過ごす事がほとんどでした。身体を壊す前に辞める選択ができたのは、小さい頃から自分で選択をしてきたからだ

【社会人②】富士山に挑戦

▲富士山頂上の様子

友人の誘いで約80人、4チームに別れて登りました。

正直しんどいです。登山初心者が多い中、経験者がリーダーとなり、みんなを牽引してくれました。高山病のような症状に苦しんだり、諦めそうな人を励ましながら登りました。脱落者も出る過酷な登山で励まし合いながら登りきり、みんなで見たご来光はめちゃくちゃ感動しました。達成感という光に包まれた。

今まで自信がなかった私が、「日本一高い山を制した」ことで自信という強力な武器を手に入れた。その後、労働組合のイベント、お客様と合わせて5回の登頂に成功しました。

自分なんてと思ってる人でした。けど、登頂した時の達成感、それまでの道のりで諦めず登頂を目指し足を進めてやりきったことで、自信を持てるようになりました。日本一を制覇したんだと、辛い時はいつも思い出し、自分を奮い立たせています。

【社会人③】商社に転職

初めての転職は、商社の物流部門での仕事を選びました。配送の仕事です。

2年の契約社員経験を経て、社員になりました。真面目な性格と、丁寧な作業が上司の目に留まり、物流でミスの許されないポジションである商品セットをすることに。

お客様に届ける商品を確実にドライバーに渡すための作業。このポジションで何回かミスをしました。対策を考えてデータに残す。この繰り返しです。

自分がミスをするということは、誰かも同じミスをするということ。人の手で作業するので0%にはならないが、0%に近づけることはできます。

改善することは、上手いか下手か分かりませんが、好きな作業ではありました。ここでの経験が後に活きてきます。

パートさんにも好かれていた僕は、パートさんの困りごとや、頼みごとは積極的にやってました。パートさんこそ職場を支えていてくれていることを分かっていたので、社員だから、パートさんだからと差別せずに接していました。

パートさんが辞めたいと話してた時、周りの人は辞めないでと言ってました。私は止めず、辞めることを勧めた。冷たいと思われるけど、嫌な職場で働く辛さを、僕は知ってるから。

パートさん

会社辞めようかな…どうしよう…

おーちゃん

ずっと悩んでるなら辞めたほうがいい。答え出てますよね?

優しさとは、本人にどれだけ愛情を持って接することができているかです。厳しいことを伝えることも愛情があれば伝わると信じてます。

【社会人④】会社の交流会の幹事メンバーに選出

年に2回ある交流会のメンバーとなり、ここで自分の長所を知ることになりました。

年に2回の全社交流会を従業員に楽しんでもらう為の企画、運営をするんでが、月に1回のミーティングもなかなか進まないことがよくありました。そんな時は意見が出やすいように、いつも私のしょうもないアイデアから若手が良いアイデアを出してくれてました。

人の意見を引き出すこと、人の意見に耳を傾けることが、いつの間にか自然にできていることに気づきました。無意識にやってることに気づくには経験が必要なんだと知ることができた。

約200人の前で総合司会、ゲームの司会、ビンゴの司会、雑用を経験しました。新社長を迎えた年の交流会では、人生で一番緊張する出来事がありました。締めの挨拶は、毎年役員がやってましたが、この年は例外が発生。

優しい上司

締めの挨拶をやってくれない?自分らしいやり方で構わないから。

おーちゃん

えっ…私ですか?自信ないですよ、そんな大役できません。

優しい上司

役員達の指名もあるけど、私もできると信じてますよ!

おーちゃん

わかりました…やりますけど、どうなっても知らないですよ!?

優しい上司

ありがとう!大丈夫!絶対やれるよ!

悩みましたが、そこまで言われたらやるしかないと腹をくくりました。当日、とうとう出番がきた!ガクガク震える足を強引に踏み出し舞台の中央へ。全従業員に向けて書いた文脈も無茶苦茶な手紙を読み上げ、アントニオ猪木の1、2、3ダー!で締めの挨拶をしました。やりきったことで自信という武器がグレードアップした。

自分で言うのも恥ずかしいですが、僕の知る限り、最高の盛り上がりをみせました。重役や、いろんな人から褒めてもらえました。普段の業務中には見せない姿で驚かせてやったぜ!カラカラに乾いた喉を潤したオレンジジュースは格別でした!

スベること、失敗を恐れず、自分の気持ちを伝えることに全力を注いだ結果です。失敗は怖い。でも、チャレンジしなければ、失敗も成功もなに1つ経験できないこと。これは、後の大きなチャレンジに繋がります

【社会人⑤】初めての1人旅初海外へ

▲不慣れな自撮り(タイの寺院)

今までの人生で最大の挑戦となった。

きっかけは、ゴロウさんのブログです。彼は、夫婦で脱サラし、夢であった世界1周をした人です。トークライブをやるということだったので、思いきって申し込みました。旅のこと、ノウハウを自らの経験を元に話してくれました。

小さい頃に、海外行きたとか漠然と思っていましたが、結局行かずに30代になってしまった。秘密基地作ってワクワクしてた昔の気持ちが呼び覚まされて、タイに3泊4日の旅に出ました。

チャレンジすることの大切さを身をもって体験していたので決断は早かったです。ゴロウさんのように、誰かの背中を押してあげれるようになりたいと強く思いました。ゴロウさんには感謝しています。

※タイ旅の様子はこちらの記事

【社会人⑥】カラーセラピーと出会う

▲カラーセラピーセッションの様子

運命的に出会ったカラーセラピー。これも、ゴロウさんが繋いでくれたご縁です。

たまたま、ゴロウさんのSNSでカラーセラピストさんのブログコンサルをしている様子が載っていたんです。これはなんだ?と思い、ゴロウさんに連絡して繋げてもらいました。実際にセッションをしてもらうと、納得することばかりでした。直感は間違っていなかった。その方に、講師の先生を紹介してもらい資格も取りました。

1つのチャレンジで人はこんなにも変わるんだ!自ら体験して思いました。僕のように変われない自分を変えたいと思う人をサポートしたいと決めました。

※カラーセラピーについての記事はこちらです。

【社会人⑦】営業部へ異動

サラリーマンの宿命ともいえる異動。僕にもその時が訪れました。商社の花形でもある営業は、物流という間接部門からの出世。

でも、営業の経験もゼロ。パソコンも苦手。そんな僕でもチャレンジできたのは、これまで話してきたよううな経験をしてきたからこそだろう。

異動してから、24時間仕事のことばかり考えるようになりました。仕事ができない自分が悪いんですけどね。慣れない仕事へのストレスと頑張らないと、やらなきゃという気持ちが自分を追い込んでいました。

ある朝、いつものようにシャワーを浴びて会社に行こうと脱衣所に向かった。そこで記憶がなくなりました。母に叩かれ起こされて、自分は倒れたんだと認識しました。布団に入り、1日休んで考えました。

オレは何がしたい?どう生きたい?今が幸せか?そうじゃない、やりたいことあるんだろう!休んでる期間、布団の中で自問自答を繰り返した。少しわがままに生きてみたい。答えが出た。

【現在】夢と目標に向かって

▲じゃんけん大会で優勝した幼稚園児の私

現在は、15年勤めた会社を退職し、カラーセラピーとNLP心理学を学び、ジュニアメンタルアドバイザーとして活動してます。

近年、スポーツにおけるパワハラで自ら命を絶つというとても悔しく、悲しいニュースを耳にします。競争の世界で指導者も熱が入ってしまうこともあります。だからこそ、第三者「聴く人」の存在は、必要です。1人で悩まず相談してください。好きで始めたスポーツを嫌いになってほしくない。スポーツに関わる全ての人が、心の健康に目を向け、もっと楽しく、上手になれるようサポートします。

また、スポーツ以外でもコーチング、カラーセラピーも受け付けてますので、お問い合わせフォームからご連絡ください。

心が折れそうな時にそっと支えられる人になることが私の目標。心が軽くなった、頭がスッキリした、前向きになれた、1人じゃないんだ。そんな風に思っていただけたら嬉しいです。

合言葉は『自分にOKを』

長文を最後まで読んでいただきありがとうございました!

 それではまたね。今日もありがとう。感謝を忘れずに。